私は両親あっての私、と今更ながらに感じる今日この頃。外見でいえば天然パーマは父譲り、色黒は母譲り。子どもの頃は、この2点を短所に挙げるくらい嫌で嫌で仕方ありませんでした。だって昔から「色の白いは七難隠す」と言って、色が白ければ他の七つもの難点をチャラにしてくれるんだよ。凄いじゃない?小学生の頃は男子から土人だのゴリラだのとさんざんからかわれ、父に似れば白かったのに何で私は、と心から肌の色を嫌いました。でも今やそんなことどうでも良い感じ。
くるくるで太くて量が多い毛髪も、ずっとさらさらのボブやロン毛にあこがれて、ドライヤーで必死に伸ばした時期もあったし、40代の頃は縮毛矯正パーマなるものをかけていました。初めて矯正パーマをかけた帰り道、風にそよぐロン毛に酔いしれたのを今でも鮮明に覚えています。
でも、暫くすると4〜5ヶ月に1度はかけないと維持できないことに飽きてきて、髪も傷むし止めたいな、でも美容室ではかけることを勧められちゃうし、で思い切ってお店を変えてみたら、とてもセンスのある美容師と巡り会い、暫く我慢の時を経て、スパイラルパーマにたどり着きました。あこがれは黒人の女の子なんだけど、まあほどほどに。以来、年に1回ペースでパーマをかけて、今やトレードマークになり、子どもたちからは、くるくる、もじゃもじゃ、くるんこ、大人からは、よく両手で髪がこんな人と形容されています。もはや1年半もパーマをかけていないけど、まだくるくる。もうほとんど地毛のくせで持っているのではないかしら。美容師からは将来ウィッグなどが必要にはならないと太鼓判を押されているし、今は量が多くて本当に良かったと思っています。
そして丈夫なこの身体とよく通る大きな声。保育やバザーでは、この声がどれだけ役に立っていることか。ちょっとやそっとの賞味期限切れは何のそのの丈夫な胃腸、大病も怪我もなく、腰を痛めてもすぐに回復し、更年期は自覚症状なく通り過ぎました。こうして子どもたちと共に、走って、泳いで、笑っていられるのも健康な身体と頑張る気力あってこそ。この頑張る気力は、母譲り。母は若い頃から頑張り屋さん、結婚後も家計を助けて本当によく働いたと、今更ながら凄かったなあと尊敬しています。そして自分を好きだという気持ち、美人ではないけれど笑顔じゃ誰にも負けない、そんな気持ちを育ててくれた両親に感謝しています。