Vol.13 情けは人のためならずメインビジュアル

2011.09.12

「情けは人のためならず」とは、「情けは人のためではなく、いずれは巡って自分に返ってくるのであるから、誰にでも親切にしておいた方が良い」とあります。

先日、次女と久しぶりに電車に乗って出かけました。途中で2回乗り換えがあり、自宅からは約2時間の長旅です。
一つ目の電車で並んで座っていると、年の頃80歳前後のご夫婦が乗車して、奥様はご主人に「あなた座って」と一人分空いていた向いのシートを譲り、自分は手すりにつかまって立っているおつもりです。
私は思わず「どうぞ」と席を譲りました。
ご婦人は礼を言って腰掛けてから次女の障害に気づいたようで、「お母さんも座らないとたいへんよねぇ」と気遣って下さいました。
私が「大丈夫です。この後お楽しみがあるので」と伝えると安心したご様子でした。

この原稿を書きながら思い出したのは、数年前のこと。
夜、バス停であるご婦人に話しかけられました。
何でも一人暮らしのその方は、全財産の入ったバッグを車中に置き忘れ、近くの車庫に行ったが別会社だったので、徒歩でこのバス停までたどり着き、これから別の車庫まで照会に行くとのことでした。
かなり高齢のご婦人はとても心細そうです。
次のバスで車庫まで行っても帰りのバスは、もう無さそうな時間でした。
バスが到着し、私は先ほどのご婦人とは離れて座りましたが、時々心配そうな視線を寄せてくる彼女のことが気になりました。
しかし次女も一緒でしたし、お付き合いできるわけでもありません。
一方で、もしかしたら作り話で騙されてしまうのかもしれないと迷いながらも、先に下車する際に千円札を差し出しました。
帰りのタクシー代になれば、もし騙されたとしても諦めのつく金額でした。
恐縮して名前を尋ねられたので、青戸児童館の中にある職場と名前を伝えてお別れしました。
「おばあさん、荷物は見つかったかしら。あの夜は無事帰れたかしら」と時々思い出していましたが、後日そのご婦人は児童館を訪ねて下さり、千円の他にお礼まで下さいました。
私は、あれくらいのことしか出来なかったけれど、本当に良かったと幸せな気持ちを頂きました。

振り返れば10代の頃は気恥ずかしくて、席を譲るのにもドキドキしたものでした。
子育ての間は譲って頂くことの方が多かったように思います。
この年になって高齢者を見かけると進んで席を譲れるのは、きっと自分の両親を思い描くからでしょう。
両親共に80歳を超え、母などもよく財布や鞄を置き忘れます。次女もたくさんの親切に出会っているし、自分に近しい人たちが受ける恩が巡り巡って自分のためになっているのだろうと、この「情けは人のためならず」という言葉に思いをはせる今日この頃です。