Vol.32 わが家のパランしょうぶ顛末記メインビジュアル

2018.06.30

葛飾区に初めての地域移行支援型入所施設「パランしょうぶ」が、平成30年4月に開所しました。葛飾区手をつなぐ親の会が母体である社会福祉法人手をつなぐ福祉会が、設置・運営しています。知的障害者の保護者の夢が終結したような、とは言え、3~5年でグループホームなどに移行することが前提なので、終の棲家という訳にはいかず片手落ちな感は否めません。また、障害程度区分4~6の方が対象ということでは、グループホームが圧倒的に不足しているので、その後の不安を払拭できません。今後行政は、さまざまな団体に注意喚起し、多額の助成を費やして、重度知的障害者のためのグループホームを確保していく必要があるでしょう。

入所にあたっては、平成29年7月に保護者向け説明会があり、入所申し込みは9月末締め切りでした。わが家は一人親で、母親である私が常勤で働いており、重度知的障害者である次女が通所施設から帰宅後は、この3月で89歳になった祖父が見ているという現実があり、しかも移動支援の送迎加算は特例扱いで、施設の送迎バスの乗降ポイントから自宅ではない祖父宅まで使用していました。それもこの6月末までで、更新は難しいとのこと。
説明会では、施設側は日中活動支援もパラン、入所もパランの「パラン・パラン」の利用を希望する、送迎バスはないとの話がありましたが、一つの施設の中で完結してしまうのは、あまりにも窮屈でつまらないのではなかろうかと思い、日中はこれまでの生活介護施設を続けることにし、都バスでの自力通所を視野に入れて入所のみの申し込みをしました。

入所者は、葛飾区職員と施設職員で構成された選考委員会で、選考されるとのこと。「パランしょうぶ」は、わが家からも祖父宅からも目と鼻の先。建物が基礎から1階、2階と建ちあがっていく様子を毎日眺めては、入所できるものと思い込み、12月に届いた封書には、「150%の枠で選考されました。今後さらに書類選考と面接を経て決定されます」とあり、面接の日程を楽しみに待っていました。
ところが、1月下旬に家庭訪問による面接の場で、生活介護の人が自分で通所先まで通うのは想定外と言われ、こちらはそう言われることが想定外だった、では、どうしても入所したいから、今からパラン・パランに変更できないのかと問えば、選考委員会を通過しているので、ダメとのこと。結局、パランの職員は福祉館の送迎ポイントまで送迎は出来ない、福祉館は福祉館でDoor to doorは出来ないということで、わが家の望みは、はかなく消えたのでした。説明会の時点でもっと明確に選考ポイントが分かっていれば、申込書類を作成する段階で修正がきいていれば、施設同士がもっと融通できれば、落選が決まった時は、タラレバがぐるぐる渦を巻き、何とも割り切れない思いが残りました。

そんなある日、入所した友人のお母さんに偶然お会いすると、心なしかほっそりされたその方は、「娘を手放してとても寂しい。尾花さん、大変でしょうけど、体が元気なうちは一緒にいる方が良いわよ」と目を潤ませながら、おっしゃるのでした。
まぁ、入所は入所、自由はない、もう少し今を楽しもうと気持ちをなだめつつ、現状は移動支援の送迎加算を切られる日が迫っているので、娘の帰宅支援を確保し、認知の落ちた父を支援しようと、4月1日から祖父との同居を始めたのですが、これがまた、本当に大変で壮絶なものになりました。