8月16日葛飾幼児グループの草創期を支え、青戸児童館時代をけん引し、療育の基礎を作ってきた赤尾靖子さんが亡くなりました。享年83歳。
はじめは亡くなったという知らせと家族葬にするという報告を受けましたが、われらが赤尾さんの葬儀に参列しないという選択肢はどうにもこうにも浮かばなかったので、ご主人に直接お電話し、葛飾幼児グループを代表して、ぜひ参列させてほしいとお願いしました。ご主人は遠くからわざわざ来ていただかなくてもと、私たちを気遣ってくださったようでしたが、結局、元職員の重稲さん、高橋さんはじめ5名で伺うことを承諾してくださいました。
当日、私は車で重稲さんをピックアップすることになり、車中、久しぶりに重稲さんの話をたくさんたくさん聞きながら向かいました。
31年前、障害のある二女を保育園に預けるため、葛飾幼児グループでパート職員として働き始めたころ、赤尾さんは周りから背後霊と言われるほど私にピッタリ付いて、子どもへの接し方を指導してくださいました。子どもに寄り添い、全身全霊で対峙することを教わりました。
赤尾さんに褒められたこと。①尾花さんはわからないことをそのままにしないで、ちゃんと聞いてくるから良い。②明るく社交的な二女に「あなたは本当にお母さんにそっくりね」・・・今でも私の励みになっています。
ブランコに乗せていた子どもを落としてしまったボランティアを真剣に叱っている姿、旅先で故山崎さん、重稲さん、赤尾さんと同席することになり、3人がお墓の話を始めて、当時まだ若かった私は、なぜここにいるのだろうと笑ったこと。病気をしてから横を通り過ぎる自転車が怖くなったと話していたこと。子が小さいうちは一生懸命引き上げ、後はあるがまま受け止め愛する、と教えてくれたことなどなど、いろいろなことを思い出します。数年前に四つ木にお招きした時は、今後の葛飾幼児グループについて、親子活動さえ続けてくれれば、それで良いと話していました。
重稲さんと二人の巨匠の前で、私たちはよく理性の重稲、感性の赤尾と表現していました。経験豊富で、人生の酸いも甘いも知り抜く赤尾さんと過ごした時間はこの上もないものでした。
笑顔でチャーミングな遺影の前に横たわった赤尾さんは、ずいぶんと痩せて小さくなっていました。目を閉じた口元が横一文字に締まり、私にはその口元が、赤尾さんが意に沿わない時に見せる厳しい表情に見え、「あなた、しっかりやりなさいよ」と激を飛ばされているように思えました。
納棺の時は祭壇の花も葛飾幼児グループが送った花もすべて棺に入れることが出来、色とりどりのたくさんの花に囲まれた赤尾さんは、若いころに目指したことがある女優のように華やかで、素敵だなぁ思いました。まだ、お元気なうちにもう一度お会いできなかったことが悔やまれます。どうぞ安らかに。